徳川家康は無類の学問好きとして知られていました。そして、家康は伏見城・江戸城・駿府城に多くの書籍を収蔵し、その出版を積極的に進めたのです。
今回は、徳川家康を開基とし、家康が出版に用いた木活字を所蔵する京都一条寺の「圓光寺」をご紹介します。
木活字を用いて多数の書籍を出版した家康
徳川家康は、林羅山らから学んだ孔子の思想「四書五経」を道徳の根源とし、儒学の教えで江戸幕府の支配体制を堅固なものとしました。
さらに、世界情報と地理学・数学・天文学を、イギリス人航海士のアダムズから学ぶほどの学問好きでした。
イエズス会の宣教師や朝鮮などからもたらされた活字印刷は、安土桃山時代に入ると、盛んに行われるようになります。
徳川家康は、伏見城・江戸城・駿府城に収蔵した書籍の出版を積極的に進めます。1599(慶長4)年~1606(慶長11)年にかけて、伏見において木活字(もくかつじ)、つまり木製の活字を用いて、多数の書物を出版したのでした。
学問所の圓光寺で圓光寺版という図書を出版
「圓光寺」は1601(慶長6)年に、徳川家康が足利学校の三要元佶を招いて伏見に学問所を開設したのを起源とする臨済宗南禅寺派の寺院。1667(寛文7)年になり伏見から現在地に移転しました。
家康は、学問所であった「圓光寺」で、圓光寺版という図書を出版。今も同寺には、その当時の木活字が現存します。