後家として生駒家に戻る
あの織田信長が寵愛した女性の一人に生駒吉乃がいます。彼女は信長の側室でありながら正室と同等に扱われていました。その生い立ちを辿ってみましょう。
彼女は1528(享禄元)年、尾張国丹羽郡小折(愛知県江南市)の土豪・生駒家の長女として誕生しました。
生駒家には生駒類という名が伝わっており、こちらが正式名だという説もありますが、ここでは一般的に知られている生駒吉乃という名で話を進めたいと思います。
吉乃は最初、美濃国(岐阜県南部)の豪族・土田弥平次の元へ嫁ぎますが、1556(弘治2)年、弥平次は明智城(岐阜県可児市)の戦いで討死します。そのため、彼女は実家の生駒家に戻りました。
当時の生駒家は犬山城主・織田信清に属しつつ、灰や油の商いと馬借で冨を築き、武家商人として飛騨国から三河国まで広範囲で商いをしていました。
その屋敷には諸国から商人・浪人・旅芸人などが出入りし、多くの情報が集まっていました。