鎌倉幕府第3代執権・北条泰時が眠る常樂寺。建長の根本とされた臨済宗の名刹【鎌倉殿の13人】

高野晃彰

『鎌倉殿の13人』で、坂口健太郎が演じる、鎌倉幕府第3代執権・北条泰時。10月18日に放送された『鎌倉殿の13人 うら話トークスペシャル』では、主演の小栗旬が「泰時だけが希望」と述べたように、源氏一族・北条一族・御家人たちが次々と滅ぼされていく重いシーンが続く中で、一服の清涼剤のような青年として描かれています。

史実の北条泰時は、承久の乱で幕府の総大将として朝廷軍を破り、武家で初めての法典・御成敗式目を制定、得宗と呼ばれる北条執権体制を固めた文武両道に優れた武将でした。

今回は、そんな泰時が眠る鎌倉市大船の常楽寺を紹介しましょう。

北条泰時が眠る寺・常楽寺

泰時が夫人の母の追善供養のために建立

常楽寺は、北条泰時が夫人の母の追善供養のために、1237(嘉禎3)年に建てた粟船御堂(あわふねみどう)を起源とします。

開山の退耕行勇は、源頼朝・北条政子の厚い帰依を受け、鎌倉で活躍した禅密兼修の僧であったため、創建当時は密教寺院であったと考えられます。

その後、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が、泰時の孫で5代執権の北条時頼に招かれ住したことから禅宗寺院に改宗しました。

建長の根本として重要視された

道隆は、1253(建長5)年に、建長寺が創建されるまで常楽寺をベースに禅宗を広げたため、臨済宗建長寺派においては「常楽は建長の根本なり」と重要視され続けました。

3ページ目 諸堂の裏手にひっそりと佇む泰時の墓

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