奥州藤原氏の最後の当主
藤原泰衡は鎌倉時代に活躍した武将で、奥州藤原氏の四代目、最後の当主にあたりますが、奥州藤原氏を滅亡に導いた人物として有名です。
よって、あまり評価は高くありませんが、実際に最期を迎えるまでの経緯はどのような流れだったのでしょうか。
泰衡の父は奥州藤原氏の最盛期を築いた三代目、藤原秀衡でした。泰衡は父の秀衡と正室の間に生まれた初めての子で、兄弟には母親違いの兄である藤原国衡がいます。家督は弟である泰衡が継ぐことになりました。
父・秀衡は今後起こりうる兄弟の衝突を防ぐために、国衡に自らの正室を娶らせ、国衡と泰衡の兄弟を形式上の親子にしました。今の時代から見るとすごい話です。
また、秀衡は死の直前にとある遺言を残します。それは、当時平泉に匿われていた源義経を主君として、兄弟で力を合わせて源頼朝の攻撃に備えよというものでした。
しかしこの願いは叶わず、秀衡の死後たった2年で奥州藤原氏は滅亡するのです。