「虚無僧」って何者?時代劇のイメージはどこまで正しい?その由来や消えていった理由を探る

虚無僧は普化宗の修行僧

「虚無僧(こむそう)」と聞いて、多くの人はその出で立ちをパッと思い浮かべられると思います。それくらい有名ですよね。

顔を隠して、なんだか謎めいたミステリアスな謎めいた雰囲気があることから、時代劇系のエンタメでも、独特の立ち位置でよく登場します。

この虚無僧とは何者だったのでしょうか?

実は虚無僧とは、禅宗の一派である「普化宗(ふけしゅう)」の修行僧のことを言います。普化宗は唐の普化和尚を始祖とし、日本には鎌倉時代に伝来しました。

心を無にして尺八を吹くことで煩悩を断ち、悟りを得ることを目指す宗派で、手には尺八を持ち、天蓋と呼ばれる大きな深い編笠を被って托鉢を行います。

天蓋を被るのは、世を逃れて隠者となった虚無僧が塵の世(俗世間)を往来する際に塵の風に目が染まらないようにするためと言われています。きちんと前が見えているのか心配になる大きさの被り物ですが、瞳孔という透かし窓が付いていて外を見渡せるようになっています。

特権的存在だった虚無僧

虚無僧の中には武家出身の者が多くいました。僧でありながら帯刀を許され、武者修行や敵討ちのための旅を行うことができる珍しい存在だったようです。時代劇でも、虚無僧が武器を振り回すことが多いのは故なきことではなかったのです。

関所の通過も簡単で、要請がない限りは、その大きな天蓋を外して顔を出す必要がありませんでした。

これらは1614年、徳川家康によって出されたと言われる『慶長掟書』(けいちょうさだめがき)に記されており、いわば虚無僧とは幕府公認の僧だったのです。

普化宗の修行僧だけでなく、罪人や浪人、隠密などが隠れ蓑として虚無僧の姿に変装することもありました。時代劇などで登場する虚無僧は、隠密の変装としてのアイコンなのだと言えるでしょう。

しかしこのことから、人々に狼藉を働く迷惑な虚無僧も増えていきました。そして明治時代になると普化宗は、政府によって強制的に廃止されてしまうのです。

では廃止された後、普化宗や虚無僧はどうなっていったのでしょうか。

2ページ目 受け継がれる奏法

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了