銀貨幣の鋳造所が「銀座」
「銀座」という地名は、東京のあの地域を示すものとして有名で、日本全国にも「○○銀座」がたくさんありますね。
そのため、銀座という言葉の元々の由来を忘れがちですが、実はきちんとした由緒があるのです。
江戸時代、銀貨幣鋳造所は「銀座役所」と呼ばれており、「銀座」とはこうした鋳造所のことを指していました。
江戸幕府によって初めて設置された銀座は京都の伏見で、静岡の駿府や長崎など全国に設置されていきました。
1612年、徳川家康はこの駿府の銀座を江戸に移します。ここが現在の銀座2丁目にあたります。
元々江戸金座が設けられていた地であったため、当初は「新両替町」と呼ばれましたが、人々の間で銀座という通称が広まります。
1800年に日本橋蠣殻町に移転になったあともこの通称が定着していたため、1869年の江戸町名改正によって正式な地名となりました。
ちなみに、銀ではなく金貨幣を鋳造していた場所を「金座」と呼びます。
金は銀よりも産出量が少ないため銀座ほど多くはなく、江戸・駿府・佐渡・京都の4箇所に限られていました。
こちらは明治時代になると新しい貨幣の鋳造に伴って廃止になりましたが、現在でもそれぞれの地に金座の名前が残っています。