目標は「競争相手を出さない」!
日本のコンピューター・ゲームの進化はめざましいですが、特に大きく変わったのは任天堂の「ファミコン」の誕生以降でしょう。
ゲーム史の一環として「ファミコン」の発売からブームが発生するまでの経緯を調べていると、その存在がいかに画期的で、ゲームの歴史を変えたと言っても過言ではない存在だったかが分かります。
「ファミコン」はなぜここまで伝説的存在になったのでしょうか。その理由を探っていきます。
「ファミリーコンピュータ」通称ファミコンは1983(昭和58)年に発売され、海外でも「Nintendo Entertainment System」、通称「NES」として販売されました。
日本のファミコンの色といえば赤と金色でおなじみですが、海外版のファミコンである「NES」は白とグレーで、後に発売された「スーパーファミコン」に近い色合いでした。
ところでファミコン発売前の任天堂は、携帯ゲーム機の走りである「ゲーム&ウオッチ」を販売していました。これも全世界で4,000万個売れたヒット商品で、その前にも「テレビゲーム6」「テレビゲーム15」という家庭用ゲーム機を発売しています。
しかしこれらは全て、ソフトが内蔵されているゲーム機でした。ファミコンがそれまでのゲーム機と一線を画したのは、当時主流になり始めたカセット方式を採用した点でした。
ファミコンの開発がスタートしたのは1981(昭和56)年。前年に「ゲーム&ウオッチ」が発売されたばかりで、ヒット真っ只中の頃です。その段階で、任天堂は既に『3年は競争相手が出ない』ことを目標にファミコンを開発していました。
その段階で既に次の一手を考えていたのはさすがですが、無茶にも見えるそんな方針で、本当にさらなるヒット商品を生み出してしまうのが任天堂の恐ろしさと言えるでしょう。