なぜ熊野詣に後白河法皇・後鳥羽上皇ら時の権力者たちは夢中になったのか?そもそも熊野詣ってなに?【その2】

高野晃彰

後白河法皇・後鳥羽上皇ら時の最高権力者が頻繁に行った熊野詣(熊野御幸)。

彼らが時間と危険を冒してまで、難路・悪路を踏破して向かった熊野三山とはどのようなところだったのでしょうか。

【その2】では、上皇たちを魅了した熊野三山を構成した寺社について、その概要をお話ししましょう。

前回の記事↓

なぜ熊野詣に後白河法皇・後鳥羽上皇ら時の権力者たちは夢中になったのか?そもそも熊野詣ってなに?【その1】

「鎌倉殿の13人」で重要な役割を演じる後白河法皇・後鳥羽上皇ら院の権力者たち。ドラマでは、政治的な暗闘を担う人物として描かれています。そんな彼らが頻繁に行った熊野詣(上皇らが行うときは熊野御幸…

熊野三山と世界遺産を構成する社寺

熊野本宮大社

熊野三山の中心となる神社で、全国に 3,000 社ある熊野神社の総本山にあたります。主祭神の家津御子大神(けつみこのおおかみ)は、神武天皇の時代にインドから飛来し、崇神天皇の65年(4世紀前半)に社殿が造られたと伝わります。

家津御子大神は、木の神・食を司る神とされ、神話ではスサノオノミコト、仏教では阿弥陀如来と同一視されます。このため、熊野を詣でると来世の安楽を得られるという信仰が広まりました。

熊野本宮大社は、もとは熊野川の中州にありました。しかし、1889(明治 22)年に大水害にみまわれ、奇跡的に流出を免れた社殿を現在の地へ遷座しました。旧社地は、大斎原と呼ばれ、高さ34mの日本一の大鳥居が建ち神聖な場所として残されています。

御本殿は、第一から第四殿まで本殿が一列に並び、それぞれに神様がお祀りされている熊野造りという代表的な神社建築です。その姿を今に伝える貴重な建築物で、国の重要文化財に指定されています。

5ページ目 熊野那智大社

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了