加藤清正、半島で虎を仕留める
1592年と1597年にそれぞれ行われた朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の折、かの加藤清正(かとうきよまさ)は「虎退治」をしたことが知られています。彼だけではなく、黒田長政や島津義弘も虎を退治し、その肉を豊臣秀吉に送ったとされています。
加藤清正といえば、秀吉の「七本槍」の一人となるほどの名将で、幼い頃から秀吉に使えていた忠臣だったとされる人です。また、熊本城や名古屋城を築いた築城名人としても知られています。
後の関ヶ原の戦いでは東軍についたものの、それでも秀吉の息子である秀頼のことを気にかけており、徳川家康と秀頼の会見も実現した人です。
さて、ではその加藤清正が、なぜ突然「虎退治」を始めたのでしょうか。今回はその経緯を見ていきましょう。
まず秀吉による朝鮮出兵の経緯ですが、天下統一を果たした彼が次に目指したのは、東アジア交易の独占支配だったとされています。
彼は日明貿易の再開を目論んでおり、高価な特産品を貿易で手に入れることによって、膨大な富を手に入れられると考えました。そこで中国大陸を征服しようと、全国の大名に朝鮮出兵を命じたのです(朝鮮出兵の理由については諸説あり)。
その清正が「虎退治」をしたそもそものきっかけは、大陸での戦中、亡くなった兵士の遺体に虎が群がるようになり、彼の馬や家臣が襲われたことでした。