富士で巻狩りに出ていた源頼朝(演:大泉洋)たちが、賊によって襲われました(曽我兄弟の仇討ち事件)。その安否も分からぬ中、第一報に接した鎌倉は大混乱に陥ります。
「鎌倉殿はご無事ですか、万寿(演:金子大地)は!?」
「……むしろ心配なのはこの鎌倉。混乱に乗じて謀叛が起こらぬとも限りませぬ」
「かたがた、どうかご安心下され。鎌倉はそれがしがお守り申す」
取り乱す政子(演:小池栄子)らをなだめたのは、クソ真面目なカバ……もとい蒲殿こと源範頼(演:迫田孝也)。
しかしこの発言、とりようによっては「頼朝がいなくても鎌倉は自分が守っていける」転じて「頼朝(と万寿)がいなくなれば、自分こそ次の鎌倉殿だ!」……という野心にとれなくもありません。
流石に曲解もいいところですが、頼朝はこの発言をもって範頼を糾弾。ついには鎌倉から追放(一説には粛清)してしまうのでした。
あぁ、蒲殿……どこまでも真面目で誠実な人柄でファンが多かっただけに、今から範頼ロスが心配でなりませんね。
『保暦間記』に記された範頼発言
しかし、範頼失脚の原因となったこの発言について、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』には言及がありません。
発言の出典は南北朝時代に成立した歴史書『保暦間記(ほうりゃくかんき)』。保元の乱(保元元・1156年)から暦応2年(1339年)に後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が崩御されるまでの間を記録しているため、そのように呼ばれています。
では、問題とされた範頼発言を見てみましょう。
……同八月三河守範頼被誅其故ハ去富士ノ狩場ニテ大将殿ノ討レサセ給ヒテ候と云事鎌倉ハ聞ヘタリケルニ二位殿大ニ騒テ歎カセ給ケル三州鎌倉に留守也ケルカ範頼左テ候ヘハ御代ハ何事カ候ヘキトナクサメ申タリケルヲサテハ丗二心ヲ懸タルカトテ疑ヲナシテノ事ナリキ不便ナリシ事共ナリ頼朝ノ無道寔ニ了簡ノ及所ニ非ス……
※『保暦間記』範頼被討より
【意訳】……同じ年(建久4・1193年)の8月、三河守(三州)範頼が誅せられた。
以前、富士の巻狩りにおいて頼朝討死の誤報が入った時、嘆き悲しむ二位殿(政子)を励まそうと
「鎌倉を守っているのはこの範頼ですから、御台所が何をご心配になることがあるでしょうか」(鎌倉に留守也ケルカ範頼左テ候ヘハ御代ハ何事カ候ヘキ)
と発言。
(夫が殺されて安心も何もありませんが、範頼なりの誠意だったのでしょう)
無事に生還した頼朝はそれを知って「さては丗(さんじゅう≒三州)のヤツ、二心をかけてやがるな……」と疑心暗鬼に。
それで殺されてしまったとのことで、実に不便(ふびん。不憫)でならない。頼朝の無道ぶりは寔(まこと)に了見の及ぶところではない(まったく理解できない)。
……とのこと。ちなみにこれに類いする発言は、他の史料には登場しません。