「人殺し!」
そう言って工藤祐経(演:坪倉由幸)に石を投げつけていた男の子たち。彼らは一萬丸(いちまんまる)・筥王丸(はこおうまる)という兄弟で、後に曽我兄弟(そがきょうだい)とよばれます。
河津祐泰(演:山口祥行)の息子として生まれた彼らは、幼くして父を祐経に殺されてしまうのでした(第2回「佐殿の腹」時点)。
成長した彼らは17年の歳月を経て仇討ちを果たすのですが、それまでどのような生涯をたどってきたのでしょうか。
今回はNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で描ききれない曽我兄弟のプロフィールを紹介。苦難を乗り越えて父の恨みを晴らした兄弟の道のりは、今なお人々の胸を打ちます。
工藤祐経に殺された父の仇討ちに生きる
兄の一萬丸は承安2年(1172年)、弟の筥王丸は承安4年(1174年)に誕生しました。
父の河津祐泰が工藤祐経に暗殺されたのは安元2年(1176年)ですから、一萬丸は5歳、筥王丸は3歳という幼さで父を喪ったことになります。
「父上の仇、必ずや……!」
未亡人となった母は相模国曽我荘(神奈川県小田原市)の領主・曽我祐信(そが すけのぶ)と再婚。息子たちも引き取られました。
復讐を誓う曽我兄弟でしたが、やがて伊豆で挙兵した源頼朝(演:大泉洋)が鎌倉で権勢を高め、祐経がその側近となります。
「こうなっては手が出せません。仇討ちは諦めましょう。企みが知れたら、曽我殿にも累が及びかねません」
しかし兄弟は仇討ちを諦め切れず、また祐経も怨みを買っていることを知っているので「謀叛を企む者がいる」と頼朝に密告しました。