初恋にして最愛の妻である八重(演:新垣結衣)を喪った悲しみにくれる北条義時(演:小栗旬)。しかし、いつまでもうつむいてばかりはいられません
主君・源頼朝(演:大泉洋)は天下草創の大仕上げとして、後白河法皇(演:西田敏行)との政争に決着をつけるべく上洛を決行。もちろん義時も同行します。
かつて平治の乱(永暦元・1160年)に敗れ、伊豆へ流罪とされてから30年……京都へ凱旋を果たす頼朝。その胸中はどれほど高まったことでしょうか。
今回は頼朝が征夷大将軍を拝命する前後のエピソードを紹介。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第22回放送「義時の生きる道」の参考になればと思います。
権大納言・右近衛大将の両職を拝命した頼朝だが……
時は建久元年(1190年)10月3日、頼朝は鎌倉を出発。かつて父・源義朝が非業の死を遂げた尾張国野間(現:愛知県美浜町)や父や兄らが滞在した美濃国青墓(現:岐阜県大垣市)を経て11月7日に入京しました。
11月9日に後白河法皇へ拝謁。長らく一対一で語り合い、天下平定の功績により権大納言(ごんだいなごん/おほいものまをすのつかさ)に任じられます。
大納言は君主と臣下の言葉を仲立ちする役職。まさに朝廷と武士の仲立ちとして頼朝がふさわしいと評価されたのでした。
「これからも、院を扶翼し参らせよ」
「ははあ……及ばずながら、院の御為に粉骨砕身いたしまする」
続いて11月24日には右近衛大将(うこのゑのたいしょう/ちかきまもりのつかさのかみ)を兼任するよう綸旨が下されます。
常設武官の最高位であり、武士としてこれ以上の名誉はない官職と言えるでしょう。
「これからも、院を護持し参らせよ」
「ははあ……及ばずながら、院が御為に粉骨砕身いたしまする」
……しかし、頼朝は12月3日にどちらの職も辞任してしまいます。せっかくの栄誉なのに、どうしてでしょうか。