原型は「今川焼」
皆さんは、もちろん「たい焼き」はご存じですね。
しかしこの「たい焼き」、いつ、どこでどうして作られるようになったのかは意外に知られていません。その歴史をたどってみましょう。
実は、たい焼きはもともと今川焼から派生したものだとされています。形は異なっていますが、言われてみると使っている材料は同じですね。では、今川焼がなぜ「鯛」の形をしたお菓子に変わっていったのでしょう。
そもそも今川焼の発祥も諸説あるのですが、さしあたり、発祥は東京だと言われています。
そしてそれを「たい焼き」に発展させたのは、明治時代の「浪花家総本店」の初代・神戸清次郎という人でした。
清次郎は当初、今川焼を売っていました。しかし、麻布近辺のお店では全く売れなかったため、亀の子を模して「亀の子焼き」というネーミングで販売してみるもののやっぱり売れず、試行錯誤を重ねて今の「たい焼き」の形に落ち着いたのです。
鯛の形の「たい焼き」は、今まで売れなかったのが嘘だったかのように、飛ぶように売れたといいます。
やはり「鯛」に目を付けたのがよかったのでしょう。「めでたい」縁起物の魚である鯛は、今でこそ手軽に購入できる身近な魚ですが明治時代は高級品で、庶民はなかなか口にすることができない代物だったのです。
そこで、鯛の形を模した「たい焼き」なら縁起物を手軽に食べられるということで、一躍人気のおやつになったのです。