Japaaan読者の皆さんこんにちは。ライターの小山桜子です。今回は江戸幕府2代将軍徳川秀忠の娘で3代将軍家光の姉である千姫が主役です。
安土桃山時代の終盤から江戸時代初期という激動の時代を駆け抜けたひとりの女性の波乱の人生について解説します。
最初の結婚は7歳
千姫は慶長2年(1597年)4月11日、江戸幕府2代将軍徳川秀忠と正室・お江の長女として、山城国伏見城内の徳川屋敷で生まれました。
まだ盤石でない江戸幕府のお姫様である彼女は、幼少期から徳川家と江戸幕府の地盤固めのために利用される事になります。
最初の結婚はなんと7歳。バリバリの政略結婚で慶長8年(1603年)に豊臣秀吉の息子・秀頼と結婚し、大坂城に住み始めました。ちなみにこの時秀頼もまだ11歳です。
千姫と秀頼は仲は良かったようですが、子供はなく、夫婦というよりは幼馴染の感覚に近かったのではないかと言われています。
19歳で夫・秀頼を亡くす
千姫は、政略結婚とはいえ大坂城で秀頼ら豊臣家の家族と暮らして幸せでした。
しかし彼女が18歳に成長した時、悲劇は起こりました。
千姫と秀頼の婚姻によって表向きは良好な関係を保っていた徳川家と豊臣家の間に、戦いが起こったのです。これが慶長19年(1614年)に始まった大坂攻めです。
大阪冬の陣では一時講和したものの翌年慶長20年(1615年)の大坂夏の陣において、夫・秀頼とその母・淀殿が自害して豊臣氏は滅亡してしまいました。