対格差や力に関係なく、体の使い方次第で相手を投げ倒せる武術・合気道。そんな合気道を考案した「植芝盛平(うえしばもりへい)」と言う人物をご存知でしょうか?
彼は生前「ワシに、鉄砲は当たらんのや」と言っていたそうです。
前編では、盛平の生い立ちから合気道に出会うまでを紹介したいと思います。
合気道を考案した最強の男の生い立ち
和歌山県の裕福な農家の家庭で生まれた盛平は、生まれつき体が貧弱でした。父親が暴力事件に巻き込まれてからは、自分も強くなりたいと体を鍛えるようになります。
その後、18歳で東京へ出て柔道を習いはじめメキメキと実力を磨く一方、盛平は商人や軍人など様々な仕事をしてみたものの、どれも上手くいきませんでした。
そんなとき、盛平に人生の転機が訪れます。
人生の転機
当時の政府は北海道の開拓に力を入れており、現地に移住する人を募集していました。
盛平の生まれた和歌山は土地が狭く、農地を持てない貧しい人がたくさんいたのです。そのため盛平は、「北海道に行くしかない、これはチャンスだ」と北海道へ移住することを決断します。そして北海道へ移住したい人を募集してみると、54家族があつまりました。
盛平は団長として全員の命を預かりながら、北海道の土地を開拓する重要な役割を担うことになります。