世界三大美女の1人として有名な小野小町(おののこまち)。
そんな小野小町ですが、生涯が謎に包まれており、小町伝説や悲惨な晩年など多くの話題が尽きない人物です。
そこで今回は、小野小町の生涯について簡単に紹介したいと思います。
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小野小町とは
小野小町は古代エジプトの女王・クレオパトラ、中国唐代の皇妃・楊貴妃とともに世界三大美女として知られています。しかし、小町の生涯は謎に包まれており、出生日や本名なども不明です。
小野氏の出身だったということと、宮中の局町に住んでいたことから「小野小町」と呼ばれるようになったと言います。
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歌人として才能を開花させた小町
小町には和歌の才能があり百人一首に選ばれるだけでなく、紀貫之が称賛した六人の歌人「六歌仙」や、藤原公任が選んだ平安時代の代表的な36人の歌人「三十六歌仙」の1人にも数えられており、才色兼備の歌人だったことがわかります。
藤原定家や紫式部も小町の歌う和歌に注目していたそうで、世間からは「和歌の神様」としても称えられていたようです。