山形県は日本を代表する「ラーメン大好き県」その歴史と現況を探る【前編】

関東大震災とそば文化

実は東北地方の「山形県」は、ラーメンの消費量が日本一です。

この事実は、インターネットの普及や各種メディアの宣伝によって知られるようになってきました。

なぜ「山形県」が「ラーメン」なのでしょうか? そもそものきっかけは関東大震災でした。

1859年の横浜開港とともに、日本には外国人が住み始めますが、その中には中国人も含まれていました(華僑・華人)。

これとあわせて日本国内でも「ラーメン」という食べ物が少しずつ知れ渡っていきましたが、明治の年号が終わる頃でもまだ横浜や東京、同じく港のある神戸や長崎周辺に限られていました。

そして関東大震災が発生します。横浜の中国人たちも被災し、日本各地に移り住みました。

この出来事によって、ラーメンという食べ物の情報も全国へ行き渡るようになったのです。

もちろん、山形にもこうした経緯で多くの中国人が移り住みましたが、それは他の地域にも言えることです。なぜ、山形県だけが「ラーメン日本一」になったのかというと、元々「そば」文化があったからでした。

山形県は、「ラーメン県」であると同時に「そば県」でもあります。現在でも、山形県の人口10万人あたりのそば屋の数は全国で2位です。

3ページ目 そばと並ぶ「ご馳走」になったラーメン

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