頼朝、頼家、実朝…鎌倉幕府 黎明期の源氏3代暗殺?の黒幕とは

湯本泰隆

鎌倉幕府の黎明期に将軍として君臨した源氏3代は、相次いで非業の死を遂げています。

まず、初代将軍・頼朝、娘の大姫を後鳥羽天皇に入内させようとするなど、従来の貴族と同じようなやり方をする姿に失望した武家方によって暗殺されたという説があります。

その次の2代目の将軍・頼家は、鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』には一切触れられていません。一方で、『愚管抄』では刺客に襲われて刺殺された旨が記載されています。

実は頼家が殺害される約1年ほど前、頼家が存命中にも関わらず、幕府から藤原定家のもとに、「頼家が没し、子の一幡は時政が討った。弟の千幡を将軍にするので許可してほしい」と書かれた書状が送られており、このことから頼家を打ったのは、北条時政の計画だったことが考えられます。

3代将軍・実朝の場合は、暗殺の実行犯は頼家の子・公暁であることがはっきりしています。ではなぜ公暁が実朝を暗殺させたのか。諸説ある中で、それは後鳥羽上皇だったのではないかとする説があります。

後鳥羽上皇と実朝といえば、和歌を通じて仲が良かったという説もありますが、その裏で上皇は、自らの側近であった坊門信清の娘を実朝に嫁がせ、子供を作らせないように指示し、源氏の血統を絶やそうとしたともいわれています。

3ページ目 呪いの力によって実朝を殺す計画?

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