平安時代以前から疫神を祀る社があった地に、疫病を鎮めるために勧請された今宮神社。新型コロナウイルスというかつてないパンデミックに襲われている今だから、ぜひお参りしたい神社です。
【前編】では、なぜ疫病退散のために今宮神社が創建されたのか、その歴史と謂れをご紹介しました。
コロナ禍の今だからお参りしたい!疫神を鎮め疫病退散にご利益がある今宮神社 【前編】
【後編】では、疫神を鎮める祭礼として、平安時代から脈々と伝わる「やすらい祭」と「今宮祭神幸祭」。そして、疫病退散にご利益があるとされる門前名物「あぶり餅」を紹介しましょう。
京都三奇祭の一つ「やすらい祭」
毎年4月第2日曜日に行われる大祭で京都三奇祭の一つに数えられる「やすらい祭」。かつて疫病は桜の花が散る頃に流行ると信じられていました。そこで、その季節に平安時代から「花鎮め」の祭礼が行われていました。
それが、「やすらい祭」で「やすらい花」と称される桜や椿などで飾った風流花傘に疫病を封じ込め、今宮神社境内の摂社疫社に封じ込める大祭です。
風流花傘を中心に、鉄棒・鉦・督殿・御幣持・小鬼・赤熊の鬼・黒熊の鬼・太刀持・笛方・囃子方が行列を連ね、「やすらいの花や~」のかけ声とともに、祭を担う氏子が住む地域でお囃子に合わせ踊りながら練り歩きます。
そして、行列は今宮神社に向かい、社殿前で踊り、御幣を奉納。風流花傘の下に入ると、1年を通じて健康に過ごせるという言い伝えがあります。
勇壮な神輿の舁き上げで知られる「今宮祭神幸祭」
【前編】でご紹介した1001年に始まった紫野御霊会を起源とする大祭が「今宮祭神幸祭」です。
平安時代末期、「やすらい祭」に詣でる民衆が余りに華美に過ぎるという理由で勅命により禁止されました。これにより「今宮祭」も徐々に衰えていき、さらに応仁の乱などの戦乱で、一度は中断してしまいます。しかし、江戸時代に入り、3代将軍徳川綱吉の時代になり復活を果たしました。
それは、綱吉の生母・桂昌院が西陣の商家の出身で産子として「今宮祭」に思いが深かく援助をしたこと。そして、西陣・大宮郷・鷹峯などの産子地域の民衆の力の結集によるものでした。
祭は、5月1日に神輿出し、5日に神幸祭、16日に還幸祭が行われ、19日の神輿納めで幕を閉じます。神幸祭・還幸祭では、御本社から御旅所へ三基の神輿を中心に約800名の行列が氏子地域内を巡行します。大きさ・重さとも京都一といわれる神輿を、100名の男子が舁き上げる勇壮さは圧巻のひと言です。
三基の神輿は、「あぐい神輿」「鷹神輿」「大宮神輿」と称されます。大宮神輿は豊臣秀吉の寄進と語り継がれ、桂昌院により大修復がなされました。三基とも菊の御紋が入り、日本が誇る伝統芸術工芸の技を集約した豪奢なものです。