皇居はなぜ江戸城の「本丸」に設置されなかった?江戸幕府の落日と権力者の悲哀

皇居はなぜ江戸城の「本丸」に置かれなかった?

現在の「皇居」は明治天皇の江戸城入りによってできたものです。1868(慶応4)年9月8日に元号が明治と改められて、「江戸城」は「東京城」と改称されたのですが、その時に明治天皇が入ったのは江戸城の本丸ではなく、西の丸でした。

こうして江戸城は天皇が住まう宮城(皇居)となり、西の丸御殿に「明治宮殿」が建設されました。今も皇居が西の丸に置かれているのはこの時以来の流れです。

しかし、このことを本で読んで不思議だったのは、なんで江戸城の中心部分である「本丸」ではなくわざわざ「西の丸」に明治天皇は皇居を設けたのかということです。

そこで調べてみると、答えは簡単で、「江戸城の本丸御殿は焼け落ちていた」のです。1863(文久3)年の火災で丸焼けになり、その後は幕府も財政難と幕末期の混乱で再建どころではなく、そのままになっていたのでした。

現在の皇居が「再建されなかった火災現場の隣」にあるのだと考えると、なんだか変な感じですね。

2ページ目 幕末期に江戸城を見舞った災禍

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了