日本におけるお弁当の歴史について、【前編】ではお弁当文化の始まりや、お弁当箱が登場したときのことをご紹介しました。
昔から日本人を支えてきた「弁当」のはじまり ~日本史におけるお弁当【前編】~
ご存じの通り、お弁当は令和の今でも日本人にとってなくてはならないもの。そこで、今回の記事では、江戸時代から近代にかけて、日本において、お弁当がどのように変化していったのかをご紹介したいと思います!
あのお弁当の登場も!江戸時代のお弁当事情は?
江戸時代中期になると、五街道の整備もあり、人々の移動が盛んになり、さらに弁当が人々にとって身近なものとなったようです。竹の皮や竹かごにおにぎりを入れる「腰弁当」も登場しました。
また、花見や舟遊び、病気見舞いなどの際にどのように料理を詰めるかを書いたテキストも出版されたと言います。
また、様々な工夫ののちに、江戸時代後期になると、一般の人々が芝居の合間に食べる「幕の内弁当」が登場しました。
旅に欠かせない「あれ」は明治時代に登場!
開国し、時代が明治になると、お弁当文化にも変化が起こりました。経済の発展にともなって、鉄道の駅で「駅弁」が登場しました。ちなみに、最初に駅弁が販売されたのは、1885年の栃木県宇都宮駅でのことでした。
なお、お弁当の中身は梅干しが入った握り飯だったようです。とはいえ、急激に駅弁が今のようなスタイルになったというわけではなく、当時は、握り飯2つにたくわん2切れを加えたものだけ、などシンプルなものが5銭ほどで売られている状況だったようです。
また、家庭でも主婦がお弁当作りに力を入れるようになったのも明治期でした。これは、労働者や学生のお昼として食べられました。また、そのうちに詰め方も工夫したり、おかずが増えることによってご飯の量が少なくなるなど、地方も都市のお弁当のスタイルに近くなっていきました。
さらに、文明開化の風はお弁当にも影響をあたえ、ご飯がメインの和風のお弁当だけでなく、サンドイッチが入った洋風のお弁当も登場しました。
いかがでしたか?現代でも大人気の幕の内弁当や駅弁が登場したのも、歴史と深い関係があったのですね。この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。