夢はでっかく天下一!戦国乱世を闘い抜いた天下七兄弟の武勇伝

「我ら生まれた日は違えども、死ぬ時は必ず同じ日に……」

中国四大伝奇『三国志演義』でお馴染み、劉備三兄弟が桃園の誓いを立てる名ゼリフ。男と男が熱い絆を交わし合う義兄弟の関係は、今も昔もオトコ心を揺さぶってやみません(……よね?)。

そんな絆を求める男たちは日本にもいたようで、生まれも育ちも違うけれど、苦楽を共に乗り越えようと堅い絆を結んだのでした。

今回は戦国時代、互いに武勇を励んで立身出世を誓い合ったという「天下七兄弟」を紹介したいと思います。

天下という割には……?

天下七兄弟……随分と大きく出たものですが、そのメンバーは以下の通り(五十音順)。

或説に丹羽山城、谷出羽、笹野才蔵、稲葉内匠、中黒道随、渡辺勘兵衛、辻小作、兄弟の約束して武勇を励み、天下七兄弟と云ひしといふ。

※湯浅常山『常山紀談』より「辻小作中黒道随が事」

一、稲葉内匠(いなば たくみ。稲葉正成)

一、笹野才蔵(ささの さいぞう。可児吉長)

一、谷出羽(たに でわ。谷衛友)

一、辻小作(つじ こさく)

一、中黒道随(なかぐろ どうずい)

一、丹羽山城(にわ やましろ)

一、渡辺勘兵衛(わたなべ かんべゑ。渡辺了)

……ちょっと微妙でしたかね?いやいや、そんな事はありません。

稲葉正成はあの春日局(かすがのつぼね)の元夫で大名(下野国真岡藩主)になっていますし、可児吉長は「笹の才蔵」の二つ名で数々の武勲を立て、谷衛友も大名(丹波国山家藩主)に、渡辺勘兵衛も「槍の勘兵衛」として有名を轟かせました。

残る辻小作、中黒道随、丹羽山城については詳細不明ですが、江戸時代の逸話集『常山紀談(じょうざんきだん)』に、こんなエピソードが伝えられています。

2ページ目 親友同士の一騎討ち!その結末は?

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