今は昔の江戸時代後期、文化13年(1816年)に長州藩士の武田泰信(たけだ やすのぶ)が安芸国・吉田郡山城(よしだこおりやまじょう。現:広島県安芸高田市)を訪れ、城内「姫の丸」で不思議な石碑を発見したそうです。
「何だこれは……?」
碑面には「一日・一力・一心」と刻まれており、何のことか分からなかったものの、何だか珍しいものだったため、拓本の要領で写しとったものを、半世紀以上の歳月を経た明治15年(1882年)になって、豊栄神社(とよさかじんじゃ。山口県山口市)に奉納しました。
「これはかつて、毛利元就(もうり もとなり)公が筆をとり、『百万一心』と石に刻ませたものじゃ」
そんな伝承があるとかないとか、もしそうであれば長州藩主・毛利家にゆかりの深い(元就を祀っている)豊栄神社に……となったようで、ちょっと話題になったものの、いざ探してみると石碑の現物はありません。
「山じゅう探しても見つからなかった……(拓本からすれば)あんなデカいものが、どこへ消えてしまったのだろう……」
武田泰信がウソをついた(拓本をデッチ上げた)可能性もなくはないものの……やがて吉田郡山城における「最大の謎」となった「百万一心」石碑ですが、そこにはこんな伝承があったそうです。