「お花見」の不思議
皆さんは「お花見」はしますか?
コロナ禍で、宴会や飲み会といったイベントからすっかり遠ざかってしまった人も多いと思います。
かつては、人気のお花見スポットとなれば、全国どこでも桜の木のたもとで陣取りをして宴会をする人でごった返したものです。
ちなみに私も以前勤めていた会社では、「お花見」という名目で、春になると居酒屋で飲み会をするヘンな習慣がありました。会場となる居酒屋には、桜はおろか花なんてどこにもないというのに…。
考えてみると、「お花見」というのは、お酒を飲んだりどんちゃん騒ぎしたりすることを正当化してくれる不思議なイベントですね。
話によると、外国人観光客の間でも、お花見は「春に日本を観光するならはずせないイベント」として知られているそうです。
それにしても、お花見はお花見です。その名称に「花を見る」以外の意味はないはずなのに、どうしてこのようなイベントとして日本人の間では認知されているのでしょうか?
山の神と「サクラ」の関係やいかに
先に書いたように、今ではお酒を飲んでどんちゃん騒ぎをするのが「お花見」だと思われていますが、昔はもっと高貴な催し物でした。
平安時代初期の勅撰史書『日本後記』には、「812年3月に嵯峨天皇が神泉苑で花宴の節を催した」という記述があります。これが日本最古の花見の記録だと言われています。
これ以降、桜による花見は、宮中で天皇が主催する恒例の行事となりました。
花見スポットとして有名な京都市東山の桜も、この時期に植えられたとされています。
一応、定説としては、花見の起源は約1300年前の奈良時代に求められるとされています。当時、貴族の間には、中国伝来でまだ珍しかった「梅」を鑑賞する習慣があり、それが次第に国風文化の発達とともに桜にとってかわられたのだとか。
ただ、そのあたりのはっきりした記録は残っていません。当時詠まれた「歌」などから推測されているようです。
日本には梅が伝来するよりも前から桜が存在していました。ただ、いわゆるお花見の習慣がそれまではなかった(少なくとも記録には残っていない)ということです。
梅の伝来によってお花見の習慣ができあがり、それに桜が使われるようになったのでしょう。
奈良時代よりもさらに前の時代の話となると、もう民俗学の話になります。
で、民俗学上の有名な定説として、「サ神」説というのがあります。