豪族の氏神からやがて庶民への信仰へと移っていった「稲荷信仰」とその経緯

湯本泰隆

全国の神社を祭神別にランキングすると、八幡神社を祀る八幡宮、八幡神社が一番多いとされていますが、道端にあるちょっとした祠や屋敷内にある邸内社まで含めると、恐らく稲荷神を祀る神社が堂々の1位にランクインされるでしょう。
そのくらい、全国的にみてお稲荷さんを祀っている神社や祠は多いです。

稲荷信仰は全国に広まっていますが、特に江戸での人気は高く、「江戸に多いもの、伊勢屋稲荷に犬の糞」と落語のネタにもされているほどです。

稲荷神はもともとは平安遷都前の京都を開拓した渡来系氏族の秦(はた)氏の氏神でした。その創建の由来については『山城国風土記』にも記されています。

それによると、秦氏の祖先のである秦 伊侶具(はた の いろこ)が餅を的に矢を射ようところ、狙っていた餅の的が白鳥になって飛び立ち、山に降りて稲になったのだとか。

そこで伊侶具はその場所に社を建て、社の名前を「稲成り(いなり)」としたのがその始まりなのだそうです。この餅の白鳥が降り立った山こそが、伏見稲荷大社の本殿裏にある稲荷山でした。

この稲荷神の信仰が平安時代以降全国に広まっていくのですが、この流れには東寺も関わっているようです。

2ページ目 稲荷神が「稲の神様」とされる理由

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