みなさんは、明治時代の人々の髪型がどんな感じだったか、イメージがつきますか?江戸時代に終わりを告げて、制度だけでなく文化の面でもたくさん西洋の影響を受けることになります。
今回の記事では、そんな開国後の日本人の衣食住の変化のうち、髪型に焦点をあててご紹介します!
ザンギリ頭を叩いてみれば……この都都逸(どどいつ)の意味は?
明治時代の最も有名な都都逸は、「ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」ではないでしょうか。これは、明治4年(1871年)5月の『新聞雑誌』の第2号に掲載されたもので、人々のあいだで流行しました。
ザンギリ頭とは、ちょんまげを切り、洋風の髪型にした男子の髪型のことです。西洋人の髪型をまねたスタイルだったため、文明開化の象徴でもありました。
ちなみに、この歌の全文は、
「半髪頭をたたいてみれば、因循姑息な音がする。総髪頭をたたいてみれば、王政復古の音がする。ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」
というものです。
意味は「半髪頭(ちょんまげ)の人は古いものに固執している、総髪頭(そうはつあたま:男性の伝統的な髪型で、伸ばした頭髪をなでつけ、後ろで髷を作るスタイル)の人はちょんまげほどではないがまだ古い。そしてザンギリ頭の人は流行に乗っている」というようなものです。
政府の役人で外国を見てきた人たちは、西洋の人がちょんまげを「ピチキル(豚のしっぽ)」と呼んでバカにするのを聞いて恥ずかしいと思っていたそうです。
明治初期の男性の髪型は?
政府は、明治4年(1871年)に「散髪脱刀令」を出して、断髪を奨励しました。
刀を差すのは禁止!明治時代の「廃刀令」は効力を失わず、実は昭和時代まで続いていた
上記の通り、ザンギリ頭にする人もいましたが、なかにはそれまでの髷にこだわった人も多くいたそうです。
明治6年に明治天皇が断髪をしたことで、一般庶民の断髪にも拍車が。なお、当時の「魯文珍報」によると、流行したザンギリ頭にも、総髪撫付、中割、開化頭など様々な形があったようです。