もうすぐ公開される映画「HOKUSAI」にちなんで、葛飾北斎と同時期の絵師、ライバル絵師・歌麿と、謎に包まれた絵師・写楽について紹介します。
歌麿や写楽との対面シーンも!5月28日全国公開の映画「HOKUSAI」の本編映像が続々と配信中
葛飾北斎(絵師)絵に全てを捧げた画狂人
かつしかほくさい、1760〜1849
葛飾北斎はとにかく絵に情熱を注ぎ続けた人物で、生涯で約3万点を超える作品を発表しました。
1999年に米LIFE誌のミレニアム特集号「この1000年で最も重要なできごとと人物・100選(The 100 Most Important Events and People of the Past, 1000 Year)」で日本人唯一のランクインを果たし、86位に選ばれています。
自らを「画狂人」と名乗っていた通り、一風変わったエピソードも残っています。
- 雅号(画家としての名前)を変えること30回
- 引越し93回
- 弟子の数200人
- 寝食よりも絵の道具を買うことを優先して貧乏
他にも様々なエピソードがありますが、金銭や衣食住、それから他人にも無頓着であったことが窺い知れます。
そんな北斎ですが、生まれは現在の東京都墨田区、幼い頃から絵が好きで、十代の終わりに人気浮世絵師・勝川春章に入門し、本格的に絵師となりました。
たくさんの絵を描きましたが、世界的に有名な「波の絵」こと「神奈川沖浪裏」も含まれる「富嶽三十六景」では、さまざまな場所・時間帯・角度から見た富士山を描きました。
「神奈川沖浪裏」は、房総から江戸に初鰹を届けた帰りの船が、神奈川沖にさしかかった時の情景を描いた作品です。
人間の都合などお構いなしに漁船に襲いかかる波のダイナミックさと、奥に見える富士山の静けさの対比が感じられる構図となっています。
下の絵は、同じく「富嶽三十六景」より「凱風快晴」。
山頂の雪の量がわずかなことから、これは夏の作品です。晴れた日の明け方に、富士山が一瞬赤く染まる瞬間を描いています。
また、同じ富嶽三十六景シリーズの中でペアになる作品として「山下白雨」があります。
山の中腹はもくもくとした入道雲に覆われ、下の方では雷が鳴っています。
こちらも富士の威厳を感じられる作品です。
ダイナミックで威風堂々とした作品も多い富嶽三十六景シリーズですが、発表されたのは北斎が72歳の時であったというから驚きです。
80代になっても絵への情熱が消えることはなく、晩年には肉筆画にも挑戦しています。
90歳で亡くなる三ヶ月前に描いた作品「富士越龍図」が、最期の作品と言われています。
ここに描かれた龍は北斎が自分の姿を見立てたものだとする説が有力で、富士を越えて昇天する龍は吉祥のモチーフであると同時に、死を悟った北斎自身の心境の投影とされています。
最期の言葉について、「葛飾北斎伝」では娘の阿栄に「あと十年、いや五年生きられたら本当の絵師になれるのに」と語ったと記されています。
お金のない北斎でしたが、葬儀は門人や友人たちがお金を出し合って盛大に
行われました。