古代日本での「白色信仰」
少し前に「白い色は恋人の色」という歌がありましたね。余談ですが、ベッツィ&クリスのお二人は、現在もハワイを拠点にして過ごしていらっしゃるそうです。
皆さんは、「白」という色についてどのようなイメージを抱いているでしょうか?
おそらく一番に頭に浮かぶのは、「清廉潔白」という言葉のように、不純なものが一切混ざっていない、「無垢の色」というイメージではないかと思います。
こうしたイメージは私たちにとって当たり前に感じられますが、実際には、国や時代によって違うものです。
日本でも、現代よりも古代の人々の方が、より強く白色を神聖視していたようです。
今回は、古代日本でのいわば「白色信仰」の実態と、その展開を見てみようと思います。
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「白」は時代すらも変える神聖な色
古代の神話や伝説のパターンとして、登場する神様などを「白色の動物」で表現するというものがあります。白狗・白鹿・白鳥・白馬・白蛇……。こうした動物の出現は、おおむね吉兆であると考えられています。
白色の動物を神聖視するのは、日本だけではありません。例えば、インドでは白い像が神聖視されます。
しかし、日常生活における白色の重用ぶりは、やはり古代日本は群を抜いているでしょう。
たとえば『日本書紀』孝徳天皇、白雉元年(654年)の条では、穴戸(長門)の国司である「草壁連醜経」という人物が白い雉を献じた時に、「公卿より始めて、百官等に及るまでに清白けき意を以て、神祇に敬奉りて、並に休祥を受けて天下を栄えしめよ」と言って年号を「白雉」と改めたことが記されています。
また、光仁天皇も、即位にあわせて肥後国から白い亀が献上されたことで、ただちに年号を「宝亀」と改めたとされます。
それらが実際にあった出来事なのかはともかく、少なくとも日本書紀が作られた時代には、「白色には時代を変える力がある」というイメージがリアリティを持っていたことが分かります。
その後、白色は、瑞色として神事や婚礼などの服の色にも使われるようになりました。
また同時に、白色は、「誠」あるいは「内に含むことのない」心のしるしとしても用いられるようになりました。
用例としては、戦場での軍使の旗や、降伏を示す時の旗などです。
戦闘の場面で、降伏のしるしに白旗を掲げた事例としては、やはり『日本書紀』に書かれているのが最も古いものでしょう。推古天皇の8年(600年)の条に、戦場で新羅王が白旗をあげたとされています。
新羅とは朝鮮半島にあった国家です。繰り返しになりますが『日本書紀』の記述の信憑性はさておき、もしもこれが本当だったとすれば、東洋では、当時から降伏の表明として白旗を掲げることが慣例となっていたと考えることもできます。
日本では、さらに時代が下ると、白色は「内にあるものを外に表す」というニュアンスも含むようになってきます。こうしたニュアンスは、今でも「自白」「白書」などの言葉に見受けられます。
白色は、純粋さや混じりけのなさ、そしてそのような状態の心を表す色だったのです。