徳川将軍史上、最年少で死去。8歳で早世した7代将軍「徳川家継」の短い生涯

一之瀬 陽平

270年近く続いた江戸時代には15人の徳川将軍が存在した。歴代将軍の中、最年少で将軍に就任し、最年少で死亡した人物が徳川7代将軍「徳川家継(とくがわいえつぐ)」だ。

今回は、わずか8年間で生涯を終えた徳川家継の短い人生をご紹介する。

出生から将軍就任へ

1709年。徳川6代将軍・徳川家宣の四男として生まれる。母親は側室の月光院。兄弟たちは早世し、1712年に家宣が倒れた際に存命していた子は家継のみであった。

同年に父・家宣が死亡すると、遺言通りに7代将軍への就任が内定する。一説には家宣の遺言には尾張藩主であった徳川吉通を次期将軍とする選択肢も提示されていたが、家宣の侍講を努め学者であった新井白石の推進により、家継の将軍就任がなったとの見解もある。

1713年。将軍宣下を受け、徳川幕府第7代将軍に就任。4歳での将軍就任は史上最年少記録であった。

家継を支えた2人の側近

7代将軍となった家継だったが、若年であり自ら政務を取り仕切ることは困難であった。幕政は「新井白石(あらいはくせき)」と家宣の側近であった間部詮房(まなべあきふさ)」が主導し、幼き家継を支えた。

間部詮房は家継の父親代わりでもあり、幼き家継は間部を慕っていたという。また、新井白石からは幕政の傍ら帝王学を学び将来を期待された。

3ページ目 徳川家継の早世とその後

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