玄関飾りや鏡餅、門松など、お正月になるとあちこちで見かける水引(みずひき)。
色んなモノに結びつけて華やかさが演出され、技巧をこらした細工を見るにつけ、日本の豊かな「結び」文化に感嘆させられます。
さて、この水引はいつごろ生まれたものなのでしょうか。今回はそんな水引の歴史などについて紹介したいと思います。
水引の起源は遣隋使から?
水引の起源については諸説あるようですが、古いものでは飛鳥時代、小野妹子(おのの いもこ)が遣隋使からの帰り道、皇帝からの贈り物(貢物の返礼品)に紅白の麻紐(あさひも)がかけてあったことに由来するそうです。
紅は誠意、白は純潔、共に「真心」を表し、心を込めた贈り物を意味すると共に、魔除けの紅と希望の白を合わせて「無事に帰り着けますように」という願いも込められていたとも言います。
当時は海を渡るのも命がけであり、荒波を越える厳しい旅路が偲ばれます。
また、室町時代の日明貿易で明国からの輸入品に赤と白の縄がかけてあり、これを日本人が「紅白はおめでたい色だから、きっと贈答用に違いない」と思い込んでいたものの、実は単に(明国から見て)輸出品を見分けるための目印に過ぎなかった、という説もあるそうです。
他にも、荷物が(中抜きや略奪などで)開封されないよう縄に塗っておいた黒色毒(詳細は不明)が、荷下ろしで縄をほどくと赤く変色したことから、舶来品の特別感をお祝いごとに採り入れたなどとも言われます。
いずれの説も、大陸から渡来した文化を日本に採り入れ、非日常な特別感を演出するのに用いるようになった点では共通しているようです。
また、最初は麻紐で結っていた水引ですが、室町時代後期になると綺麗で丈夫な和紙が漉(す)ける=作れるようになり、それを紙縒り(こより)にした表面に糊(のり)水を引いて固めたことから「水引」と呼ばれるようになったと言います。
他にも、紙縒りを染色するため、水に浸して引きながら締めたことを語源とする説などもありますが、いずれにしても和紙という材質が深く結びついている点では同じです。
つまり水引という名前は和紙の技術が発達してからつけられたことになりますが、紅白の麻紐を結んでいた時代には、何て呼んでいたのか気になりますね。