徳川家康に天下を取らせた戦国武将・藤堂高虎のフォロワーシップ【後編】

友斉照仁

一兵卒からスタートし、主君を幾度も変えて、最終的には32万石の大名にまで昇りつめた藤堂高虎(とうどうたかとら)。「フォロワーシップ」という観点から、彼がなぜ大出世を遂げることができたのかを考えていきたいと思います。

藤堂高虎ってだれ? という方、ちょっと復習しておきたいなという方は、こちらにその生涯をまとめてありますので、ぜひお読みください。

主君を次々と変えた変節漢?身長190cmを超す規格外の巨漢武将・藤堂高虎【前編】

幕末の動乱が最高潮に達していた1868年1月。京都近郊で、江戸幕府軍1万5千と明治政府軍5千が激突しました。いわゆる鳥羽伏見の戦いです。数の上では優位にあった幕府軍ですが、結果は惨敗。敗因は色…

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フォロワーがリーダーをつくる

こんな動画があります。

動画の内容を簡単にまとめると

  1. 裸の男が一人で踊っている
  2. 別の男がやってきて、一緒に踊り始める
  3. それを見た他の人たちも踊りの輪に加わる
  4. 大勢の人が踊りだし、「踊らない方がおかしい」という状況が出来上がる

というものです。

裸の男は、彼一人だけでは「ただの変な人」です。

しかし、別の人間がフォロワーとなって一緒に踊り始めることで裸の男はリーダーになり、最終的にムーブメントを巻き起こします。リーダーの存在は重要です。しかし、一人目のフォロワーの存在も、それに劣らないくらい重要なのです。

高虎がやったことはこれと同じだったと言えるのではないでしょうか。秀吉の没後から徹底して家康支持を貫いたこと、いち早く人質を差し出したことなど、ひとりめのフォロワーとして積極的に行動することによって家康をリーダーにし、家康が天下を取るきっかけを作りました。

そしておそらく、家康はそのことに気付いていました。先祖代々徳川家に仕えてきた者たちにも劣らない待遇を高虎に与えたこと、伊勢・伊賀という戦略的に重要な地を任せたこと、隠居した家康が拠点とした駿府城下の最も良い場所に屋敷を与えたことなどは、その証拠と言えるのではないでしょうか。

そんな理想的なリーダーとフォロワーであった家康と高虎ですが、最後にこんな逸話をご紹介して終わりにしたいと思います。

2ページ目 高虎のお願い

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