「ガキを返して欲しければ、〇〇〇〇万円用意しな……!」
刑事ドラマなんかでよく聞かれるこんなセリフ。人質をとって金品などの要求を突きつける手口は昔から使われており、もちろん戦国時代でも多用されていました。
大抵は合戦のどさくさに紛れて犯行に及び、名のある武将クラスであれば大きな(例えば城一つレベルの)取引に使えたでしょうし、そうでなくても戦利品として、安い報酬の足しとされた例も少なくありません。
そこで色々調べてみると興味深いデータがあったので、今回は戦国時代における身代金の相場について紹介したいと思います。
100万円払っても助けたい人質と、2~3千円なら買ってもいい奴隷
と言っても、人質の身代金について具体的な金額を明記している史料は少なく、ここでは甲斐国(現:山梨県)の武田家と、越後国(現:新潟県)の上杉家のデータ(相場)を比較してみましょう。
武田家:2~10貫(1貫=1,000文⇒2,000~10,000文)
上杉家:20~30文
「あれ、随分と違わない?」と思われる方も多いと思いますが、これは別に武田家がぶったくっている訳でもなければ、上杉家がことさら人道的という訳でもありません(そもそも人道的なら拉致などしません)。
武田家の金額は人質を身請けする(買い戻す)場合の相場、上杉家の金額はその辺に(奴隷として)売り飛ばす場合の相場と、それぞれ状況が違うのです。もし逆の状況であれば、それぞれ逆の相場となったことでしょう。
人質に取られるのはだいたい弱い女性や子供が多く、どうしても身請けしたい親族など対しては、その足元を見て支払えるギリギリの高値で吹っかけ、交渉が決裂すれば二束三文で(奴隷として)売り飛ばすor殺す、というのが通例でした。