近代化の象徴である鉄道が、新橋・横浜間で開通。当時は「陸蒸気」と呼ばれ、人々に親しまれつつも、中には「キリシタンの妖術」と怖がったり、「蒸気機関車から出る火の粉で火災が起こる」、「貨幣の元になる鉄でできたレールの上を走るとは、けしからん」と反対する人もいたそう。
当時の陸蒸気は非常に贅沢な乗り物だったのです!どのようなものだったのでしょうか。
明治維新後に誕生した日本初の鉄道については、【その1】もぜひご覧ください。
新橋~横浜間を50分で走破!明治維新後に誕生した日本最初の鉄道。その名も「陸蒸気」【その1】
明治維新からわずか5年後。近代化の象徴である鉄道が、新橋・横浜間で開通しました。人々から親しみを込めて「陸蒸気」と呼ばれた日本最初の鉄道です!現在の鉄道大国・日本の礎となった、「陸蒸気」にまつ…
陸蒸気はお金のかかる贅沢な乗り物だった!
現在において、鉄道は手軽な運賃の公共交通機関として親しまれています。では、開業当時の運賃は、いったいいくらくらいだったのでしょうか。
上等・中等・下等の3ランクに分かれていた客席
当時、客車のランクは3つに分かれていました。上から上等、中等、下等の順で、それぞれの運賃は、1円12銭5厘、75銭、37銭5厘となっていました。
同じ交通機関の人力車が30銭、蒸気船が31銭ほどでしたので、陸蒸気のほうが贅沢な乗り物といってもいいかもしれません。
ちなみに、上等の1円12銭5厘は、現在の金額ではおおよそ1万5000円とされます。今なら1万5000円あれば、新幹線で東京から新大阪に行けます。
やはり、最新の乗り物だけあり、陸蒸気は高かったのですね。
陸蒸気の姿を生き生きと伝える錦絵
黎明期の鉄道について、その姿を生き生きと伝えてくれるのが当時描かれた錦絵です。そんな錦絵を見ると気付くことがあります。それは、陸蒸気が海の上を走っているということです。
「鉄道が海の上を?」と疑問に思われる方も多いでしょう。実は、鉄道建設にあたり用地買収に手間取ったため、新橋・横浜間の全ルートの3分の1が、海上に築かれた築堤の上を走っていたのです。
この風景は、当時の新たな風物になっていたようで、陸蒸気の後ろには東京湾や海岸線、富士山まで描かれています。