豊臣秀吉による小田原攻めの際、石田三成軍によって攻められた「忍城(おしじょう)」。結果的に落城せずに持ち堪えたこの城は、堅固な要塞として「忍の浮き城」と呼ばれた。
今回は【前編】に引き続き、忍城の歴史をご紹介する。
前回の記事
豊臣秀吉の水攻めにも落城せず。”忍の浮き城”と呼ばれた関東七名城の一つ「忍城」【前編】
室町時代の中期に武蔵国埼玉郡忍(現在の埼玉県行田市)に築城された「忍城(おしじょう)」。関東七名城にも数えられるこの城は、戦が盛んであった戦国期において一度も落城することがなく、難攻不落の堅固な城とし…
忍城の総大将「成田長親」
石田三成軍による忍城攻めには、総大将として戦った「成田長親(ながちか)」の功績が大きかったとされる。
成田氏の興亡を記した「成田記」によれば、成田氏の本拠地・忍城は、本来長親の父・泰季が城代を務めていたが、泰季の急死に伴って話し合いの末、長親を総大将としたと記録されている。
長親は小田原城に籠城していた本来の城主・氏長の長女「甲斐姫(かいひめ)」や、一族郎党と共に、三成軍の水攻めに対して堤防を破壊するなどよく対応し、忍城の防衛に尽力したという。北条氏降伏後は、剃髪し尾張国に隠居したとされる。
忍城と三成軍の攻防は、「のぼうの城」というタイトルで2007年に小説化、2012年に映画化されており、主人公は成田長親である。