禅宗の開祖・達磨大師はインド人?青い眼?え、毒殺されたって!?知られざる伝説エピソード

澁澤りべか

「ダルマさんがこ~ろんだ!」でおなじみの達磨大師(菩提達磨)は、5~6世紀に中国で活躍したお坊さん。禅宗の開祖です。その生涯はたくさんの伝説に彩られていてどこまでが本当かわかりません。

そんな不思議エピソードのいくつかをご紹介しましょう。

実はインドの王子さま?

達磨大師は、南天竺にある香至国の王族出身とされています。香至国とは3~9世紀に南インドを支配していたパッラヴァ朝の首都カーンチープラムのことで、達磨はカンタヴァルマン2世という王の第三王子とされます。

しかし一方で、達磨は「西域・波斯国の碧眼の胡僧」とする記述もあり、これに従うとササン朝ペルシャ(現在のイラン)出身で青い眼だったと考えられます。

出家して40年の修行ののち船で広州へやってきた達磨は、当時中国の南半分を支配していた梁の皇帝に会い問答しました。しかし皇帝には達磨の教えが理解できなかったため達磨は梁を去ります。

このときのやり取りは禅の修行の最重要テキスト『碧巌録(へきがんろく)』の冒頭に収められています。

弟子志願者の熱意にドン引きしつつOK

達磨は大河、長江を“たった1枚の蘆(あし)の葉に乗って”渡り、中国の北半分を治めていた北魏の都、洛陽に至ります。そしてのちに拳法で有名になる嵩山少林寺にて「面壁九年」と呼ばれる修行をしました。

これは壁に向かって坐禅をくみ、9年もの間沈黙して微動だにしないというもの。この姿が日本で生まれた縁起物のダルマ人形のモデル。ダルマ人形は群馬の少林山達磨寺が発祥です。願をかけるときに向かって右の目を、叶ったら左の目を入れます。

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3ページ目 毒殺を6度免れ、7度目で死す?

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