主君から授かった領地を代々受け継いで、そこに住まう民百姓を統治する……武士と言えば、往々にしてそんな支配階級の姿がイメージされます。
確かに中世(平安~戦国時代)までは、鎌倉武士の「一所懸命(いっしょけんめい。ひとところに命をかける)」が象徴する通り、自分の領地を死守することが大命題でした。しかし泰平の世が実現すると、少し様子が変わって来ます。
江戸時代、多くの武士たちは自分の領地を治めるどころか、現場に行くことさえほとんどなかったそうですが、それで経営が成り立つのでしょうか。
今回はそんな江戸時代の「蔵米知行(くらまいちぎょう)」システムについて紹介したいと思います。
地域密着型の良し悪し
中世までの武士たちは、主君から授かった現地に自分で住むことが多く、農業施策を講じたり(生活の向上)、領民たちの訴訟を裁いたり(治安維持)、年貢を取り立てたり(租税徴収)などの権限を持っていました。
これが「地方知行(じかたちぎょう)制」と言われる地域密着型の統治システムですが、いかんせん領主の判断による人治主義なので、領主によってはとんでもない放漫経営で領地が荒れてしまうこともあったようです。
また、逆に名君すぎて領民が主君よりも領主に懐いてしまい、やがて主君の権威や地位を脅かすリスクも否定できません(領主本人にそんなつもりはなくても、嫉妬や疑心暗鬼によって多くの悲劇が起きたのは、歴史が伝える通りです)。
良くも悪くも領主と領地・領民の距離が近すぎると、なかなか徳川家康の名?言「民は生かさぬよう、殺さぬよう」という絶妙な政治の匙加減は難しいもの……そこで考え出されたのが「蔵米知行」システムです。
3ページ目 主君の蔵から米を貰う、合理的でWin-Winな新システム