フィクションだった一夜城!秀吉が築く前から墨俣には城が存在していた

時は戦国、永禄九1566年。織田信長(おだ のぶなが)は、美濃国(現:岐阜県南部)の大名・斎藤竜興(さいとう たつおき)を攻略する足がかりとして、墨俣(すのまた。現:岐阜県大垣市)の地に城砦を築こうと考えました。

そこでさっそく家臣たちに築城を命じましたが、いつもいいところで斎藤方によって妨害され、何度やっても失敗してしまいます。

苛立つ信長に「私が成功させてみせましょう」と名乗り出たのが、まだ身分の低かった木下藤吉郎秀吉(きのした とうきちろうひでよし)

秀吉は墨俣を流れる木曽川の上流で、斎藤方に気づかれぬよう木材を伐採。組み立てられるよう加工した状態で川に流し、下流の墨俣で引き上げるとすぐに組み立ててしまいました(現代で言うプレハブ工法の走りでしょうか)。

まるで一晩の内に城砦が出現したような早さで完成したため、信長はじめ世の人は「墨俣の一夜城」などと呼んで奇想天外な秀吉の才覚を賞賛。立身出世の足がかりとなったのだった……と言われています。

筆者も子供の頃からマンガや時代劇などで慣れ親しみ、「すごいアイディアだ!秀吉って、何て頭がいいんだろう!」などとワクワクしたものでしたが、実はこのエピソード、フィクションだったそうです。

そう言うと、中には「そんな事ないよ!だって大河ドラマでもやってたし、あくまで『諸説アリ』ってヤツでしょ?」というご意見もあるかと思いますが、墨俣一夜城が明らかにフィクションである根拠が、史料に示されていました。

2ページ目 秀吉が築く前から存在していた墨俣城

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