「3時のおやつ」は”やつどき”に食べる間食?江戸時代の庶民のスイーツライフ

一之瀬 陽平

現代人にとって当たり前になった「おやつ」。小さい頃3時になったらおやつを食べる習慣があった方も多いだろう。実はその習慣のルーツは江戸時代に遡る。

今回は、江戸時代のおやつ文化をご紹介したい。

「やつどき」に食べる間食

江戸時代の中期、質素・倹約を旨とした徳川8代将軍吉宗の時代まで日本は一日二食が常識だった。朝と夕に食事を取ることが一般的とされていたが、昼間の時間に腹が減ってしまうと、庶民は「間食」をして空腹を凌いだという。

現代の午後14時〜16時頃に、軽食の時間を設け腹を満たした。この時間を「八刻(やつどき)」といい、八刻に食べる軽食が「おやつ」と呼ばれるようになったそうだ。

江戸期の菓子文化

日本では「菓子」というと果物を指す。特に食事の後の果物を菓子と呼んだそうで、現在でも果物を「水菓子」と呼ぶのはその名残だ。

長かった戦国が終わり江戸期に入ると、庶民の文化は発展し様々な菓子が登場する。特に1800年代に入ると江戸の町は菓子屋で賑わい、数十種類の菓子が販売されていた。

「饅頭」「飴」などは高級品で、庶民の間では「焼き芋」「かりん糖」「芋ようかん」などが親しまれた。また、「柏餅」など季節や催し物に際して作られた菓子もあったようだ。これらの菓子は「江戸菓子」と呼ばれ江戸庶民の間で流行した。

一方、京都では茶の味を引き立てるための菓子が発展してゆく。穀物の粉を用いた「落雁」などは茶菓子として開発されたもので、饅頭やようかんは京都から江戸に伝わった菓子だ。京都生まれの茶菓子は「京菓子」と呼ばれ、江戸菓子と並び現代の和菓子の基礎となった。

3ページ目 菓子の起源

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