「花魁」は子供の頃から既に選ばれていた?
華やかで艶やかな美貌と、高い教養を持ち合わせた、江戸時代の吉原の最高級の遊女・花魁。現代でも「花魁変身」が大人気ですが、当時も浮世絵になったり、最新のファッションの発信元になるなど、みんなの憧れの存在でした。
そんな花魁には、吉原ヘ売られてきた女性の誰もがなれたわけではありません。実は「花魁候補」は、子供の頃から既に選ばれていたのです。
「花魁候補」になれる禿の条件とは?
10歳くらいまでに吉原に売られてきた少女たちは「禿(かむろ)」として花魁の身の回りの世話をしながら、吉原でのしきたりや廓言葉(いわゆる「ありんす言葉」)を身につけます。
その中で、容姿などから楼主やおかみが将来の花魁候補と見込んだ禿は「引き込み禿」となり、芸事や教養などの英才教育を受けるようになりました。
引き込み禿は15歳前後になると、花魁見習いの「振袖新造」となり、花魁について接客などのノウハウを学ぶようになります。花魁の客が被った時には「名代」といって、花魁の代わりに客の相手(ただし客は振袖新造に手を出してはいけない)をすることもありました。
そして振袖新造が17歳になると、晴れて正式な遊女として客を取るようになり、その後は「昼三」「付廻し」などと呼ばれる高級遊女へとステップアップしていきました。
高級遊女になるための第一歩は、まずは引き込み禿となることだったのです。