前回のあらすじ
実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【一】
時は幕末、姫路から江戸に出て剣術修行に励んでいた平山五郎(ひらやま ごろう)は、神道無念流の免許皆伝となるも、花火の事故(悪戯?)が原因で左目を失明してしまいます。
しかし、そのショックで心眼を開いたのか、見えない筈の左側からの攻撃に滅法強くなったそうで、俄かに隻眼の剣術家として知られるように。
そんな文久三1863年2月、五郎の元へ浪士組(ろうしぐみ。新選組の前身組織)募集の報せが届いたのでした……。
そうだ、京都へ行こう!張り切る五郎と、清河八郎の陰謀
「浪士組?何だそりゃ」
浪士組とは庄内藩士の清河八郎(きよかわ はちろう)が献策したもので、身分や前歴を問わず有志を募り、京都へ上洛した将軍の警護に当たる任務が予定されていました。
「おお、長年鍛え上げた剣術の腕前を、今こそ活かすべき……そうだ、京都へ行こう!」
……と、大張り切りの五郎でしたが、清河の本音は別のところにありました。
「江戸市中から有志の腕自慢≒物好きな破落戸(ゴロツキ)どもを一掃して幕府の予備兵力を奪い、一度京都に結集させた上で天子様から勅命を頂き、彼らを再び江戸へ向かわせて、討幕の先鋒とする」
あくまで「将軍を警護する」という大義名分で幕府から資金を出させ、すっかり整えた軍備で幕府を倒す……そんな痛快な作戦を胸に秘めながら、清河はどんどん人材を募集。
その中には、水戸から脱藩してきた芹沢鴨(せりざわ かも)や、市ヶ谷・試衛館(しえいかん。天然理心流)の近藤勇(こんどう いさみ)など、後に新選組の草創メンバーとなる面々が勢ぞろいしていました。
配属された六番組で、水戸の暴れ者に仁義を切る
さて、五郎が配属されたのは、芹沢が小頭(隊長)を務める六番組。その構成員はほとんど芹沢が連れて来た水戸出身の手下たちばかりで、姫路出身の五郎はただ一人、アウェイ感に気後れしてしまったかも知れません。
「おぅ、夜露死苦(ヨロシク)」
しかし、ここでナメられては男が廃る。京都で漢(おとこ)を上げたい五郎は、水戸の暴れ者たちに仁義を切ります。
「……フン。片目のくせに、威勢だけは良さそうだなァ……おい健司、ちょっと挨拶してやれよ」
中堅格の平間重助(ひらま じゅうすけ)はそう言って、若手の野口健司(のぐち けんじ)に立ち合いを促します。
「押忍!」
健司は木刀を二振り取って片方を五郎に寄越すと、すかさず八双に構えました。彼は五郎と同じ神道無念流で、目録(免許皆伝より格下)を得ています。
対する五郎は、健司の構えを見るなり、受け取った木刀をガランと足下に転がしました。
「この野郎、俺を若輩と侮るか!」
「……待て!」
今にも斬りかからんとする健司を制した声の主は、三番組の小頭を務める新見錦(にいみ にしき)。芹沢とは同郷で仲が良く、彼のブレーンとしてよくつるんでいました。
「その片目、出来るぞ……重助、お前が相手しろ」
「え、大丈夫だろ?おい健司、さっさとやれ!」
「押忍……きぇーっ!」
片目を相手に怯んだとあっては武士の名折れ……気を取り直して健司が斬りかかると、五郎は足元に転がしておいた木刀の端を跳ね上げると、右手で健司の木刀を払い、左手でその頬面を殴り倒しました。
「健司!」
「……喧嘩の場数が違ぇんだよ。バァーカ」
道場での稽古ならいざ知らず、得物を手の延長として(≒片手で)扱えなければ、実戦では役に立ちません。
「そういう訳で、改めて夜露死苦な。片目でも、ちったぁ役に立つと思うぜ?」
木刀を放り出した五郎は、呵々大笑しながら夜の街へ消えて行きました。