前回に引き続き、平安時代に菅原道真の怨霊が引き起こした数々の悲劇にクローズアップします。
学問の神様・菅原道真公の怨霊が引き起こした数々の悲劇【前編】
学問の神様として人気を集める菅原道真公。宇多天皇の右腕として重用され、忠臣として才気を発揮したことは有名です。しかし彼の最期は不遇なもので、宇多天皇が譲位した後、醍醐天皇の御代であらぬ謀反の疑…
菅原道真伝説に関係あり?雷が落ちると「くわばら、くわばら」っていうのは何故?
天候の変わりやすい夏。にわか雨やゲリラ豪雨で雷が鳴ることも多いですね。そういえば雷が鳴ったときに「くわばら、くわばら」と言いますよね。今でこそ口にする人は少なくなったと思いますが、自分の祖母や…
醍醐天皇の跡継ぎを襲う悲劇
延喜23年には道真の左遷を決定した張本人、醍醐天皇の息子で東宮の保明親王(やすあきらしんのう)が薨去してしまいます。保明親王は弱冠20歳。彼は醍醐天皇の第2皇子で、伯父の左大臣・藤原時平の後ろ盾を得て、延喜4年(904年)にわずか2歳で醍醐天皇の後継ぎとして東宮となった人物でした。
醍醐天皇にとっては大切な後継者であり、時平が夢と希望を託した、期待の星ともいえる若き青年でした。
保明親王薨去後、その第1王子で時平の外孫であった慶頼王(やすよりおう)が皇太子に立てられましたが、2年後僅か5歳でこちらも薨御。代わりに保明親王の同母弟、寛明親王(朱雀天皇)が皇太子となります。
保明親王・慶頼王のどちらも藤原時平と繋がりが深かったことから、両者の相次ぐ薨去は時平が追い落とした菅原道真の怨霊による祟りだという噂が立ちました。その後、道真は亡くなっているにもかかわらず右大臣に戻され、正二位を贈られました。