「関ヶ原の戦い」で真田家が決断した「犬伏の別れ」一族存亡をかけた親子の本当の狙いとは?

湯本泰隆

天下分け目の戦いだった「関ヶ原の戦い」。

真田家は父・昌幸と幸村が石田三成の西軍に、そして信之は徳川家康の東軍にそれぞれ参加することにしました。親子兄弟で分かれて戦うという選択は下野国犬伏で行われたため、「犬伏の別れ」と呼ばれています。

この選択がどんな状況で行われたのか、またどのような狙いがあったのかということはいまだ様々な説が唱えられており、はっきりしたところがわかっておりません。

通説とされているのは、人払いを行って三者で真田家の去就について話し合ったというもの。長い協議が続く室内が気になった河原綱家という家臣がふと部屋を覗くと、昌幸が「誰も部屋に入るなといったはずだ!」と叫び、履いていた下駄を投げつけたといわれています。

その一方で、協議ではなく意思確認程度のごく短い会合だったとの説や会合そのものが行われていなかったという説もあり、親子間でどんな取り決めがなされたのか、それともなされなかったのか、本当のところはよくわかっていません。

いずれにせよ、結論として真田親子が選んだのは、敵味方に分かれて戦うという選択肢でした。

また、どうして親子間で別々に分かれたのかということについても諸説あります。

2ページ目 真田家の存続が狙い

次のページ

この記事の画像一覧

シェアする

モバイルバージョンを終了