京都はなぜ左京区が右側、右京区が左側なの?それは「天子南面す」という考えに基づく

湯本泰隆

京都市には11の区があります。11の区の中には、「左京区」と呼ばれる区と「右京区」と呼ばれる区も含まれていますが、地図を見ると、左京区は右側(東側)、右京区は左側(西側)にあります。

そのわけは、「天子南面す」という考え方に基づいているからです。

この「天子南面す」という言葉は中国古来からの考え方を示したもので、君主は北を背に、南に向かって君臨し、政務を司るというきまりがありました。長安をはじめとする古代中国の王城都市は、都の北部中央に王が鎮座する宮城があり、南に向かって区画が広がる構造になっていました。

京都の平安京は、中国の都にならって造営されたため、同様に北側中央に天皇が居住する内裏が設けられ、内裏から南に向かって都を見渡した天皇の視点を基準に、朱雀大路より左手は左京、右手は右京と呼ばれるようになりました。

その名残が、今も京都市の区名として引き継がれているのです。

天皇から見て左が東、右が西という考え方は、京都の様々な観光スポットでも触れることが出来ます。

例えば、京都御所の紫宸殿の左右に植えられた2本の木。紫宸殿は、南に向かって建っており、東に植えられた木は左近の桜と呼ばれ、反対側の西の木は右近の橘と呼ばれています。

左近の桜と右近の橘は、平安神宮の紫宸殿の左右にもあります。もちろん、紫宸殿は南を向き、東が左近、西が右近です。

その他、上京区にあり、「スポーツの守護神」として知られている白峯神宮にも左近の桜と右近の橘が植えられています。こちらももちろん入り口の鳥居や本殿は、南を向いています。

このように、京都の至る所に現在でも古代中国の都づくりの影響を知ることが出来るのです。

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