江戸時代のお風呂は猫も杓子も、富める者も貧しい者も基本的にはみんな「銭湯」でした。そして当時は「銭湯」ではなく、「湯屋(ゆや)」と呼んでいました。「湯屋」の内部は、今の銭湯とは大違い。
今回はそんな湯屋を、ちょっぴりのぞき見してみましょう!
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もくもくの洗い場
まず、入り口を入ると番台があり、お金を払います。脱衣所ですが、混浴のため男女が分かれていません。服を脱ぎ、低い敷居をまたぐと洗い場です。
面白い事に、当時は脱衣所と洗い場が完全には仕切られていませんでした。今なら必ず扉で仕切られているので、私たちには考えられないことですね。洗い場は湯気がもくもくで人の形がようやく判別できるくらいだったそうなので、脱衣所もきっと湿気がすごかったのではないでしょうか。
洗い場では今と同じように、湯船につかる前に桶に水を汲んで体を洗いました。もちろんシャワーなどありませんでした。また、当時は体を洗う時に、石鹸の代わりに鶯のフンなどでつくった「ぬか」という白い粉をおのおの袋に詰めて、「マイぬか袋」で体をこすっていました。
この「ぬか」は毎日使い捨てでしたので、体を洗い終わったら洗い場の端の箱の中に使用済みのぬかを捨てて、空のぬか袋だけ手ぬぐいに括り付けたりして持って帰っていました。
また、面白いことに、洗い場には男性用の「毛抜き」「毛切り」が備え付けられていました。ふんどしから毛がはみ出ないように、2つの石をこすり合わせて、陰毛処理していたのです。
いざ湯船の中へ!
湯船に入るには「ざくろ口」と言って身をかがめてやっとくぐれるような色鮮やかな仕切りをくぐって入りました。
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これは湯浴と同時にサウナ的な感じで気浴を楽しむためだったといいますが、このざくろ口のせいで湯船はお化け屋敷くらい暗く、人とぶつかってしまう事が多かったため、「冷えものでござる(体が冷えているのでぶつかったらごめんなさいねという意味)」とか「アイ、枝(手足)が触りますヨ」とか言って一言断ってから入っていたといいます。
参考文献:杉浦日向子「一日江戸人」新潮文庫