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破天荒で壮絶な人生を駆け巡った戦国時代の武将「松永久秀」:その1
「魔王」と恐れられた織田信長。その信長が家康に紹介するとき、「この男は、常人にはできない、天下の大罪を三つも犯した」といわれた男がいます。その名は松永久秀(まつなが ひさひで)(別名:松永弾正…
さて、長慶の死をきっかけに、弱体化していた室町幕府第13代将軍の足利義輝が権力を復活させようとします。義継と、久秀の嫡男・松永久通、そして三好三人衆(三好長晩・三好政康・岩成友通)らが京に攻め入り、義輝を殺害。宣教師のルイス・フロイスは、『日本史』にて、「この事件の首謀者は久秀」と書き残しています。
やがて久秀は三好三人衆との大陸を深め、抗争を繰り広げることになります。しばらく劣勢に追い込まれた久秀でしたが、1567年東大寺に集まっていた三人衆を破りました。そのときの戦いで、東大寺の大仏を全焼させています。
先に、織田信長が述べた「久秀の三つの大罪」というのは、
- 主君である三好長慶を死に追いやったこと
- 第13代将軍・足利義輝を殺したこと
- 大仏殿を焼失させたこと
を指しています。
尤も、ルイス・フロイスの前掲書によれば、大仏殿を放火したのは三好三人衆側のキリシタンだともされています。
今となっては真実はわかりませんが、久秀が大仏殿を焼失させたといわれるのもそれだけ久秀が破天荒だったことによるものでしょう。