功徳を積んだら地獄行き!?「我地獄に入らざれば…」禅を極めた趙州和尚の言葉が深い

出家して俗世を離れ、厳しい修行を乗り越えて、仏の教えに悟りを開く……そんな高い徳を積んだお坊様がたの死後には、さぞや素晴らしい来世や極楽浄土が待っていることだろう……

そう思いがちですが、どうやら少し違うようです。

さて、高い徳を積んだお坊様は死後どうなるのか、とある禅僧のエピソードを紹介したいと思います。

120歳までパワフルに生きた唐の禅僧・趙州和尚

今回の主人公は日本から西へ海を隔てた唐(とう。中国大陸の古代国家)の禅僧・趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん)

大暦十三778年に曹州(現:山東省)で生まれ、幼い内から出家して南泉普願(なんせん ふがん)に師事。

やがて大悟(たいご。悟りを開くこと)して普願の法嗣(ほうし。仏法の継承者)となり、還暦を迎えると修行の旅に出て、禅の境地をより深めていきます。

20年の流浪を経て趙州(現:河北省)の観音院を終の栖(すみか)と定めたため、みんなから「趙州和尚(じょうしゅうおしょう)」と呼ばれるようになりました。

そこで40年間もの永きにわたって禅の思想を広めますが、独特なユーモア(皮肉?)を効かせた説法は「口唇皮禅(こうしんひぜん)」と呼ばれ、禅界に異彩を放ち続けます。

そして乾寧四897年、120歳という伝説的な長寿を誇って大往生を遂げると、真際禅師(しんざいぜんじ。真実に際まる≒近づいた者、の意)と諡(おくりな=贈り名。生前の功績や偉業を示した称号)されたのでした。

60歳で修行の旅に出ようとするだけでも凄いのに、その旅が20年にもわたり、更に定住してからも40年間生き続けたパワフルさに脱帽です(きっと「ピンピンコロリ」だったことでしょう)。

3ページ目 功徳を積んで地獄に堕ちる!?趙州和尚の珍問答

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