過酷な生活を送る遊女のかかりやすかった病気とは?
江戸時代の遊女たちの平均寿命は、22歳程度だったと言われています。
江戸時代、遊女の最期は寺に投げ込まれていた?苦界に身を落とした遊女たちが眠る浄閑寺とは
江戸時代の遊女は、平均寿命が22歳程度だったといわれています。性病や過酷な環境での生活が、遊女たちの寿命を奪っていたのでしょう。そんな遊女たちは、亡くなればお寺に投げ込まれていたというのです。…
遊女の仕事は過酷な上、ほとんど家の中で日にも当たらず、食べて寝るだけの生活をしていました。これだけ見ても、彼女たちが健康を維持することがいかに難しかったか、容易に想像がつくでしょう。
そんな遊女たちが特にかかりやすかった病気には、どのようなものがあったのでしょうか?
梅毒などの「性病」
「やはり」と思う方もいるかもしれませんが、遊女という仕事柄、最もかかりやすかった病気は「性病」でした。
江戸時代にも避妊具や避妊法はありましたが、効果の乏しいものがほとんどだった為、遊女は不特定多数の男性客と避妊具なしで行為を行っていました。
効果が乏しいものばかり…江戸時代にはどんな避妊具や避妊の方法があったのでしょうか?
現代の日本では少子化が問題になっていて、一人の女性が子供を出産する平均人数(合計特殊出生率)は1.5人を下回る数字になっていますが、江戸時代では、地域差はあるようですがこの数は6〜7人ほどであったと言…
そのため、梅毒(ばいどく)などの恐ろしい性病にかかる遊女が非常に多かったのです。
当時は梅毒の有効な治療法もなかったため、完治させることはできませんでした。
その一方で、梅毒を経験した遊女は妊娠・出産しにくい体になり、見た目も病気の激しい苦しみで痩せこけて青白い肌になって「遊女としての格が上がった」「一人前の遊女になった」とみなされました。
梅毒が末期近くまで進行すると「ゴム腫」と呼ばれる弾力のある腫瘍が全身にでき、それが壊死して崩れます。
「梅毒になると鼻が落ちる」と言われることがありますが、ここまで進行すると遊女の命である容姿に影響を与え、更には全身が冒されて命にもかかわるようになりました。