古今東西、夜道は危険が多いもの。そこで、かつて平安の貴族たちは兵(つわもの。強者)たちを雇って侍(さぶら)わせ、身辺を警護させたものでした。
それは同時に兵としても食い扶持の確保はもちろん、出世の手がかりにもなるWin-Winの関係でしたが、雇う兵の腕前は、時として生死を分けることもあります。
今回は平安京でも最強クラスであろう、とある用心棒のエピソードを紹介したいと思います。
深夜の急報、いざ三井寺へ
今は昔、三井寺(園城寺、現:滋賀県大津市)の明尊僧都(みょうそん そうず)という高僧が、ご祈祷のため平安京にある関白・藤原頼通(ふじわらの よりみち)の館に滞在していた時のこと。
ある日の夜中、三井寺より遣いが来て、よんどころない事情によって大至急帰らねばならなくなってしまいました。
「あぁ、この夜道を行かねばならぬとは、難儀なことじゃ……」
夜間の治安などなきに等しい中世日本の平安時代、丸腰で出歩くなど命の危険さえ伴うリスクの大きなものでした。
しかし、行かねばならぬ以上は覚悟を決めて、明尊は頼通に暇乞いを申し出ます。
「これこれしかじかの事情にて、お暇を賜りたく……」
明尊の事情を聞いた頼通はこの申し出を快諾。更には道中の用心に、と警護もつけてくれました。
「おぉ、忝(かたじけな)し忝し……」
……が。いざ出立に及んで門前に待っていたのは、弓矢一式(弓と箙・えびら)を持った兵(つわもの)と、下人の二人だけ。
どちらも見るからに風采が上がらず、これから京都~大津という遠路にもかかわらず馬もなく、足拵えは乗馬用でもない粗末な藁沓(わらぐつ)。
「……あの、この者たちは……?」
見送りに出て来てくれた頼通に、明尊は疑惑の眼差しで訊ねます。しかし頼通は心配ご無用とばかりのドヤ顔で答えました。