日本で「手配写真」を普及させた江藤新平は、皮肉にも手配写真の制度によって逮捕

湯本泰隆

交番の貼りだしなどでよく見かける容疑者の手配写真。この制度を日本で最初に始めたのは、明治維新の功労者でもある「江藤新平(えとうしんぺい)」でした。

江藤新平は、1834年に佐賀藩の武士の長男として誕生。16歳になると藩校である弘道館で学びます。やがて、政治に興味を持ち始めるようになると、「義祭(ぎさい)同盟」という政治結社に加入。同じ組織のメンバーだった大隈重信らと行動を共にするようになりました。

その後、23歳になると「開国してもっと強い国になるべき」とした意見書「図海策(ずかいさく)」を作成し、提出。周囲からその先見性を評価され、次第に一目置かれるようになりました。

2ページ目 脱藩…そして「手配写真」を普及

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