人は大なり小なり何かしらの失敗はするものです。それを挽回するのにも大なり小なりの努力は必要になります。また、時に失敗には自分の人生を大きく変えることもあるくらい深刻なものも存在します。
今回は戦国時代で武将とはあるまじき失態を犯し、名誉挽回した仙石秀久(せんごくひでひさ)の復活劇をご紹介します。
仙石秀久って何をした人?
秀久は天文21年(1552)に仙石久盛の4男として生まれました。4男で生まれたため家督を継げなかった秀久でしたが、当時仕えていた斎藤家と織田家との戦で相次いで跡継ぎを失ったため急遽家督を継ぐことになりました。
永禄10年(1567)には斎藤家が織田信長に壊滅的なまでに敗れましたが、秀久は信長に14歳にして勇ましい風貌を気に入れられ豊臣秀吉の家臣に任命されます。
以降、秀吉の最古参の家臣として姉川の戦いや中国攻略などの主要な戦に参加して戦功を上げていきました。
天正10年(1582)信長が本能寺で倒れると秀吉と共に中国大返しを行い、山崎の戦いに参戦します。
山崎の戦いでは淡路にいる明智勢の討伐にあたり淡路平定を行います。